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- 卓越した技能者をたたえる本年度の「現代の名工」に、富山県からは黒部市生地経新、浅野ヒッタ家具工業社長の浅野博さん(74)が選ばれた。指物師、仏師、会社経営者それぞれの顔を持つ浅野さんに、これまでの道のりと今後の意気込みを聞いた。(平井剛) 一心不乱、まさにそんな形相で木彫の天神様を掘り進んめる。
「サクッ、サクッ」。静まり返った工房には、のみと木が触れ合う乾いた音だけが響き渡る。「技術は黙って盗むもの」。この道に進んだ時からの教えを忠実に守り、工房に余計な会話は持ち込まない。 家具職人だった父と自宅に戦時疎開していた多くの指物師の中で育った。中学に上がるとカンナを手渡され、「明けても暮れても刃を研いでばかりいた」と振り返る。「命の次に商売道具が大事、という師匠たにの無言の教えだった。 父の仕事を手伝うようになった昭和30年代、住宅ブームに乗って家具は飛ぶように売れた。だが、慢心せず「次は何が売れるか」を常に追い求めた。
その努力と結晶として、1964年の第1回県家具連合コンクールに出品した箪笥が見事に県知事賞を受賞。家の広さに応じてたんすの横幅が伸縮するという斬新なアイデアは当時、評判を呼んだ。 40代に入り、突然京都の寺にこもって仏師の資格を得たのも、「いずれ家具だけでは食べていけなくなる」という時代の先読みがあったから。事実、花形商品だった婚礼家具はパッタリと売れなくなり、住宅に組み込まれたクロゼットの普及で家具販売は落ち込んでいった。 「かつてのバブルの時代は訪れないだろう」と浅野さん。「しれでも、家具の需要がまったくなくなったわけではない。時代の半歩
でも先を行き、世界に通じる技を磨けば十分生き残れる」と自信ものぞかせる。生まれ年の干支になぞらえ、「これからも猪突猛進していくだけですよ」と豪快に笑った。(北陸中日新聞 2009年11月10日掲載)