会社名 | 浅野ヒッタ家具工業株式会社 |
本社所在地 | 〒938-0004 富山県黒部市飯沢807-1 |
電話番号 | 0765-56-8157 |
代表取締役 | 浅野 博 (Asano Hiroshi) |
設立 | 1950年3月20日 |
事業内容 | 家具の製造卸販売 仏壇・仏像の製造卸販売 |
資本金 | 1,000万円 (2020年現在) |
事業所
黒部本店
住所 | 〒938-0004 富山県黒部市飯沢807-1 |
TEL | 0765-56-8157 |
FAX | 0765-56-8288 |
営業日 | 月・火・水・金 ・土・日・祝 |
営業時間 | 9:30 ~ 19:00 |
休日 | 木曜日 |
工場
住所 | 〒938-0027 富山県黒部市中新70 |
TEL | 0765-56-8157 |
FAX | 0765-56-8288 |
沿革
昭和20年 | 先代浅野恵長(明治40年9月生まれ)が 戦地より帰国後、家具の製造販売を始める終戦後の物の無い時代、餅の折りから下駄箱まで生活に必要な製品を頼まれればなんでも作りました。 車もない時代、リヤカーでできた製品を運んだ時代です。 |
昭和21年3月19日 | 「浅野家具製作所」創業。 |
昭和30年代 | 高島屋等全国の家具店 に家具を製造し納める婚礼セットやテレビ台など。 |
昭和30年代半ば、 | 日立のヒッタライトという原料材料を下請け第1号として生産を始める。 |
昭和38年 | 「浅野ヒッタ家具工業株式会社」に代わる |
昭和39年 | 第1回富山県家具連合コンクール『県知事賞』を受賞 これまで40数年連続で各賞を受賞している。 表彰歴一覧 |
昭和47年 | 中新に工場を移転。 |
昭和50年代 | オイルショックを機に、卸売から店売りに転換する。 |
昭和55年 | 滑川店を開店。 |
昭和60年〜 | 仏壇・仏像・神棚を造り 寺院・仏閣他、全国の仏壇・神具店に納める |
平成 | 浅野ヒッタ家具工業 富山店「光陽館」を開店。 |
平成15年 | 富山県デザインセンター富山プロダクト選定【木曽ひのきベッド】 |
平成17年 | 新規事業分野開拓業者 第1回トライアウト認定(富山県)【木曽ひのきベッド】 |
平成31年4月30日 | 平成最後の日 浅野ヒッタ家具 滑川店閉店 |
1.企業概要 【開業年月日】 ・開業:昭和21年3月 ・設立:昭和38年3月19日 【場所】 ・黒部市生地地区(黒部市飯沢) 【業種】 1.和洋家具の製造 2.和洋家具の販売 3.建築工事業・塗装工事業・内装仕上工事業・建具工事業 4.不動産の売買並びに斡旋及び仲介に関する業務 5.建築物の設計・工事監理 6.前各号に附帯する一切の業務 【組織構成・規模】 ・資本金1000万円 従業員5名 ・製造部門 工場 ・販売部門 2店舗 【創業の経緯】 創業は、昭和21年に現社長の父で故浅野恵長(けいちょう)が「浅野家具製作所」として、黒部市生地で創業した。創業者は元々大工をしていたが、終戦して復員した後、腸チフス(元法定伝染病の1つ)を患い、療養生活を送ることになる。体力が衰え大工職人としての復帰が難しくなったことで、大工よりも力仕事が少なく、木材加工の腕も生かせると考え、家具職人を志した。 終戦直後で、空襲で焼け出された人が多く、依頼があればなんでも作っていた。現在のオーダーメイドによる完全受注生産の原点がここから始まっている。 東京や大阪などの都市部から富山県内に疎開していた家具職人を雇っていたため、創業当初から高い技術を誇っていた。現社長(二代目)の浅野博(ひろし)は当時から一職人として技術を磨いており、平成17年に「現代の名工」に選ばれ表彰を受けている。 その高い技術に目をつけたのが、家具製造の進出を目指していた日立製作所。和ダンスや飾り棚などを嫁入りセットとして家具や家電製品を併せて販売することで日立製作所は、本業との相乗効果を狙っていた。 家電と組み合わせる家具は、日立ブランドで売り出すため高い品質が求められた。 そして、浅野家具製作所は、北陸エリアで販売する日立ブランド家具の製造を受託することになる。 1963年(昭和38年)に法人化し、現社名の「浅野ヒッタ家具工業」に改める。 社名にある「ヒッタ」は、日立グループ会社が製造していたとされる「ヒッタライト」に ちなんで名付けられた。日立ブランドの家具を製造することをアピールすことと覚えてもらいやすいことを重視し名付けられ、変更せずに今に至っている。 【既存事業の内容】 ・仏壇・神棚の製造販売 ・家具の製造販売 ・季節伝統品(皐月人形・雛人形・天神様・鯉のぼり)の販売 ・ソファー、椅子の販売 ・小物家具のカタログ販売 ・家具などの修復(らんま・仏像・お寺・仏壇・神棚) ・墓石の販売 況と今後の展開】 先述のとおり開業当初は、日立製作所との提携等により婚礼家具や応接家具等の製造の仕事が多かったが、日立が家具部門から撤退し、作っては売れる時代が終わったオイルショック以降は店舗での家具販売を主とした営業形態となる。昭和50年代に入り家具製造の技術力を活かし仏壇の製造販売を始める。 富山県内で東京オリンピックの年から毎年開催している家具業界が開催する展示会へ毎年出展している。第1回目の開催では、製品の技術力が認められ最高位の県知事賞を受賞し、以降最高位を10回以上受賞している。 家具業界は、これまで婚礼家具の需要が収益の柱となっていたが、現在では需要が少なくなり事業形態の変更が余儀なくされ、実用本位の低価格大量販売プロダクツと有名ブランドの高価格販売の2極化が進み大手が市場を占めている。 近年の店舗集客への取り組みは、商圏への新聞折り込みチラシを年10回、1回当たり43,000枚配布しているが、チラシの反響が年々落ちてきている。このまま、新聞折り込みを続けても良いものか疑問に感じている。首都圏で開催する仏壇の展示会に年2回参加し、卸先の販売会社を開拓しているが、そういったことが知られていないと地域の方との会話の中からも感じることが多くなってきている。現在、購入されているお客様は、以前から購入されている方がほとんどであり、地域の方に当店を再度知ってもらうことが重要と考えている。 当社は、地域で唯一「木製家具を自社製造」できる特徴を持っている。そこで培った70年余りの「実績」や「技術力」の強みがある。製造から販売まで一貫して行うことで、購入後も安心できることや販売コストが下がるなどお客様が得られるメリットがある。 そして、お客様の来店機会を増やし、お客様の声や要望を反映した地域密着のお店作りを目指していく。 そのために、今後チラシ作りも含めた情報発信の見直しと強化、事業展開の見直しを図る。お客様が、家具や木製品を安心して長く大切に使い質の高い生活をサポートする地域になくてはならないお店を目指し、来店客と売上の増大に取り組んでいく。